パリダカールラリー、30年連続出場ギネスレコード保持者、菅原義正氏に聞く。

記者: Yuko Watanuki

世界一過酷なモータースポーツ競技とも言われるパリダカールラリー。その「パリダカ」に30年間連続出場、20回連続完走のギネス記録を持つ日本レーシングマネージメント会長の菅原義正氏。

東京・恵比寿にあるオフィスを訪れると、1階ガレージにはチームスガワラの2台の巨大なカミオン(トラック・日野レンジャー)が次なる戦いへ向けて整備の真っ最中だった。

今回の記事は菅原氏へのインタビュー形式で掲載します。

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初めてパリダカールラリー(以下パリダカ)に参戦したのは30年前41歳のときです。国境を越えて開催される壮大な競技というものに魅せられた。オリンピックにだってそんな競技はないでしょう、パリダカくらいですよ、国の境目を越えて走っていくなんて。

最初は2輪で参戦したのだけれど、これはかなわいと思った。相手は自然だから壮大さの規模が違うわけ。言葉、文化、全てにおいて、なんて自分は小さい存在だと感じた。

それでも10年は続けようと決めて、2年間2輪、7年間4輪、そして最後トラックで出てやめようと思っていた。ところがトラックが面白いし難しい。結局それから20年続けていることになるね。

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 普通自動車とトラックの一番の違い、それはトラックの目的は荷物を運ぶということですよ。
1回に少しでも大きな荷物を運びたい、製造側も1センチでも荷台を大きくしたい、人間の乗るスペースは運転さえできればいい。それがトラックの設計の基本でしょう。
じゃ、ラリー仕様のトラックは、といえば、これをご覧なさい。普通のトラックは運転席と後ろの荷台との間に隙間があるでしょう。ところがレース用はワンボックスのようにつなげてある。
それから荷台も普通は運転席の屋根よりも高くなっているけれど、レース用は同じ高さになっている。こうして風の抵抗をできるだけ少なくしている。

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※歴戦の記録とミニチュアたち。菅原氏の言う「ラリー用トラック」のディテールがよくわかる。 

軽量化のために荷物は最小限に、トイレットペーパーの芯まで抜いて重量調整している。
荷台に積むのはスペアタイヤ2本で約300kg。その他、多少の工具などを合わせて運転席の重さと荷台の重さのバランスをとっている。本当は50:50が理想なのだけど、実際は55:45くらいになってしまうんじゃないかな?

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 ※ほぼ空っぽの荷台。ここにタイヤが積み込まれる。

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 ※荷台は金属ではなく、布製の「幌」。押すと凹む。これも軽量化。

数え切れないエピソードの中で、記者のような車素人にもわかるような例をとお願いしていたところ、ジオラマで説明してくれた。

 2009年にスタックしたときのことを話しましょうか。悔しいから地図に印をつけてある(笑)このあたりです。

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※パリダカールラリーは以前はフランス・パリからスタートし、セネガルの首都ダカールまでのコースだったが2009年からはアルゼンチンの首都・ブエノスアイレスからチリを回るコースに変更された。これは南米の地図。

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 車はこんな具合になっていた。
前のデフが壊れて、後輪だけの駆動ではバックができない。それが夜の8時のことですよ。運悪く雨も降ってきていてね。
こうしたアクシデントもレース中はドライバーとナビゲーターの二人で対応しなくちゃいけない。メカニックなどサポート要員が触ると失格になってしまう。
ナビゲーターと二人で砂を掘っていると、オートバイで参戦している人たちがやってきてね、5人くらいがトラックの荷台で寝ていきましたよ。
その間もナビゲーターの羽村君(羽村勝美氏 92年以来菅原氏専属のナビゲーターとして活躍)と僕はジャッキアップして砂を入れてトラックを持ち上げていった。荷台からはオートバイの人たちの鼾が聞こえてきました(笑)。カチンとこないか?こないよ、それより掘る方に必死。オートバイはね、疲れるのよ。(笑)

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 ※車体の下に砂をいれて車が持ち上がったところで、後方の砂を除きバックで脱出。

その日はあまりに条件が厳しいのでレースが中止になったのがラッキーだった。もしレースが続行されていたら我々は完全にリタイア状態だったから。
この場所に私たちが18時間もいるとういことを主催者側がGPSで掴んでいるわけ。翌朝10時頃、ヘリコプターがやって来た。ナビゲーターが「手でも振りましょうか?」と言うから「手なんか振っている場合じゃないよ、スコップ持って働いていれば生きているってわかるだろう」(笑)って手を休めずに掘っていた。そうしたらホバリングして水と食べ物を落としてくれただけで行っちゃったけど。(笑)

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 ※これはご子息、照仁さんの2号車ナビゲーターの席から撮ったもの。ドライバー、ナビゲーターの好みによってハンドルや計器の位置が変わる。今は入れ替えている最中。

前回の大会では私は4位、息子(菅原照仁氏 日本レーシングマネージメント代表取締役)の車がクラス優勝しました。
息子のほうが勝つように、私の方は次期のテスト用にと役割分担をしている。
アクシデントで前輪が八の字になったのだけど、それもナビゲーターと二人で修理ですよ。ギリギリまで修理してその日のゴールまで60キロを走り通した。もちろん直りきるものじゃないから、これ以上やっても無理、と思ったらそこで決断して走り出すんですね。
うちのチームの強みは、僕も含め実際に車を作ったり触ったりしている人間が乗っているところだね。
F1ドライバーみたいにピットに入ったら誰かが直してくれる、なんてことないからね。

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 ※タイヤの直径は1260mm。運転席の高さは記者の身長ほど。もちろんレース本番には脚立はない。

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 パリダカの完走率は全出場者で30%ほどです。
僕も20回完走を続けましたが、狙って続けられるものではありません。やっていたら結果がついてきただけ。20回で途切れて惜しいと言ってくれる人もいるけれど、また20年やればいいでしょ、途切れたらまたやればいいわけでね。
お金を儲けようとするとお金は逃げるけれど、いい仕事をするとお金はついてくる。それと同じですよ。

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 ※ガレージ前の2号車全容。モンゴルラリーへ向けて最終整備中。

オフィスで見たラリーの映像では、巨大なトラックが小動物のように軽々と跳ねている。ユーモアに溢れた語り口についつい忘れてしまいそうになるが、「完走者がすべて勝者」と言われるほどパリダカールラリーは過酷なレースだ。
菅原氏が語るエピソードに見え隠れするのは「どんなときでも弱音をはかない」精神力と、「車と大地を知り尽くした」その知恵の見事なまでのバランスの良さだ。
71歳という年を考えれば確かに体力面で若い選手にはかなわないかもしれない。けれど菅原氏が連戦し、上位の成績を収め続けている、その理由は「心が折れないで継続する」強さなのではないだろうか。

次の記事では貴重な資料類も公開!ぜひお楽しみに!
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